改めて「伝える」ことについて学んでみると、ちょっと教師としてプロ意識が欠けていたかなと感じます。
ただ、全て知っている単語で、分かりやすい表現で伝えているのに、なぜ行動につながらないのかと思うこともよくあります。
宿題などはその典型です。内容を理解できているかを生徒と何度も確認したとしても、生徒がそれをしないことは多々あります。
やっぱり伝わっていないのでしょうか?
こんにちは。BigWaveといいます。公立中学校の現役教頭です。奇妙な生態を持つ教師「教頭」。そんな「教頭先生」の頭の中を公開します!

→なんとか理解できるけど、最後の最後は理解不能
言っただけでは伝わりません。こちらの考えを相手に伝えるのは本当に難しい。
生徒に「言ったでしょ」と詰め寄っていた過去の自分には、「それは「伝える」という自分の責任を全部生徒になすり付けているだけですよ」って伝えたいです。
前回(87.なぜ言っても伝わらないのか?)はなぜ伝わらないのかを細かく考えてみました。一般的なコミュニケーション上のトラブルは、双方が責任を持てばいいと思います。でもこれが教師と生徒の場合、100対0とは言いませんが、教師がその多くを担うことになります。
生徒の理解力を想定して、生徒に分かるように伝えていく、教師ってそういう職業なんだと思います。この「生徒に分かるように伝えていく」ためのポイントを前回3つ考えてみました。
1.話し手と聞き手が持つ情報量は違う。
2.ワーキングメモリに負荷がかかりすぎると聞き手は理解が追い付かない。
3.発信した内容を聞き手が全く同じ内容として受け取るわけではない。
この3つを意識して話すだけでも、「言ったのに伝わらない」はグッと減ると思います。とは言え、これらだけでは不十分だと痛感する場面もあります。
「宿題忘れ」です。宿題のお知らせは、授業中はもちろん終礼などでも再度共有され、口頭だけでなく黒板などにも書かれます。
例えば「今日の宿題は、ワークの10ページから11ページです。」。語彙も簡単で、とても分かりやすい文章です。間違いなく全員理解できると断言できる情報提供です。
それなのに、見事に忘れます。
単純に、やるのが嫌だからやらなかった場合もありますが、本気で忘れている生徒がいます。「漢字にはふりがなも書く」と毎回言っても、漢字は書いているのにふりがなを書き忘れます。
なぜ言っても伝わらないのでしょうか?
間違いなく伝わってはいます。でもそれが行動に繋がらないのは、理解に必要な能力と言うよりは、興味や必要性の課題なのかなと思います。「漢字にふりがなを書く」場合、その漢字の読み方をすでに知っているなら、ふりがなを書く必要は感じません。
「今日学んだ5個の英単語をそれぞれ10回練習する。」この場合も、すでに知っている単語を10回練習する必要性は無いように思います。
「宿題」は、個別最適化されていない全体に与えられる課題です。子どもにとってみれば、必要性を感じないものも多く含まれています。興味が無いのならなおさら主体的にやろうという気になりません。だから忘れるのだと思います。

一人ひとりがメタ認知を発揮し、「何が分かっていて何が分かっていないのか」を各自で把握し、自分で自分に必要だと思われる分量の課題を各自が設定し、実行する。すばらしく理想的な状況ですが、そこに行きつくには、課題が満載です。大人でも難しいです。
子どもの興味を引き出し、必要性を感じさせることができれば、「うっかり忘れ」もグッと減らせるのではと思います。大人の出退勤の押印忘れも同じです。まぁ、興味を引き出し必要性を感じさせるのが難しいのですが。
「なぜ言っても伝わらないのか?」はかなり奥が深いです。実はまだ最後に、この疑問を再認識させられた最大の疑問が残っています。「ゲーム機を所定の位置に戻す。」です。
我が家には、「ゲーム機を所定の位置に戻さないとゲーム機を隠す。」というルールがあります。本人にとってみれば死活問題のはずです。興味、必要性ともにMAXな内容だと思います。
なのですが、いつもゲーム機は使いっぱなしで放置されています。伝わっているのかと言えば、間違いなく伝わっています。でもそれが行動に繋がりません。これが最大にして最後の謎なのです。未だ、納得できる理由は見つかっていません…。
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